ブックタイトル森林のたより 748号 2016年01月

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概要

森林のたより 748号 2016年01月

-増えてきた、イナゴ-【第294回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira10月のある日、思いもしない人から電話がかかってきた。その人はO氏(以下、人名は氏を除く)。中学校の同級生だ。懐かしかった。しかし、卒業してから56年間一度も会っていない。記憶に残っているのは悪ガキ時代の顔。56年前にタイムスリップし飛騨弁で話をした。「久しぶりやなあー、元気か。今何しとる」とO。「年金暮らしやさー。お前はどうなんや」と私も聞き返す。「俺も年暮らしやさ-」いきなりこの会話。これが同級生だと思った。「ところで要件は何なんやー」「名古屋で飲まんかい」「飲む?何で急に」いきなり飲みに誘われたので、私は面食らってしまった。Oはその経緯を話した。彼は高校の気の合う仲間4人で年に数回飲んでいるとのこと。その時、私のことが話題になったらしい。言い出しっぺはT。叔父の奥さんの弟である。たまたま他の3人も中学校が同じで私を知っていたので、一緒に飲もうということになったとのこと。特にOは大喜びで「野平とは50年以上会っていない。懐かしいなー」と言って、自分から幹事を引き受けたという。この飲み会に参加できるのは、Tが私を知っていたこと。ただこれだけである。これが縁。そのお陰でOと飲んで話せるのだ。まさに「縁は異なもの味なもの」だと思った。××××飲み会の場所は「飛騨○○○」という高級居酒屋。飛騨の酒や料理が自慢の店だ。ここでOと56年ぶりに顔を会わせた。年相応に老けていたが、すぐにわかった。面影が残っているのである。「久しぶり。元気か」とOに声をかけた。そしてひと言追加。「お前禿げたなあー」Oは苦笑いし「お前の方が禿やわ。ツルツルやに」このやりとりに参加者は大笑い。こんな雰囲気で飲み会がスタート。飛騨料理を食べて飛騨の地酒を飲む。美味しくて話が弾んだ。しかし、全員70過ぎの老人、いやシニアだ。話題はいつの間にか病気、年金、介護、亡くなった人のことになってしまう。「え、あいつが死んだ」「○○ちゃんもいないの」「もう10年以上たっとるよ」こんな会話が続く。途中でOが私に「Nはどうしている」と聞いてきた。「Nは7年前に死んだよ」「死んだ?」OはNと家が近くで幼友達。ショックをうけ暗い顔となった。そして「Nとはイナゴを捕りに行ったな-」と、その様子を話した。すると全員が「俺も捕ったよ」と言いだし、イナゴが話題になった。昔は貧しかったので、イナゴは大事な食べ物。しかし、不味かったというのが共通点。煮たり炒ったりして塩や醤油をかけて食べるだけだったからである。しばらくイナゴ談義が続いた。××××学術的にはイナゴもバッタもバッタ目、バッタ科の昆虫である。このうちイナゴはイナゴ亜科に入り、日本には10種ほどいる。このうち食べられていたのは、ハネナガイナゴとコバネイナゴである。どこの田んぼにもたくさんいたからである。確かにイナゴは昭和40年代まではどの田んぼにもたくさんいた。その気になれば何百匹も捕れた。それが農薬の影響で少なくなり、簡単に見られなくなってきた。こんなことを話していたらTが店の主に「ここにイナゴ料理ある?」と尋ねた。「今はありません。しかし最近増えているようなので、また出そうかと思っています」との返事。言われてみるとイナゴは増えているような気がする。虫採りに行くとよく見かけるし、捕虫網でも採れるからである。またイナゴ料理があちこちで復活する。そんな気がしてきた。あっという間にお開きの時間。次はイナゴ料理の出る店で飲もうと乾杯。本当に楽しいひとときであった。散会後、私はAと一緒に帰った。その時、彼はこれまで自分が歩いてきたことを話してくれた。その話は衝撃的であった。××××Aは大きなホームセンター内でリフォーム業の店舗を構えている社長である。しかし、ここまでになるには苦労の連続だった。在日韓国人だったからである。それが小中学生の時から常について回った。就職してもそのような目で見られ職を転々とし、生活は最低。自暴自棄に陥ったことが何回かあった。そのうちに、これでは駄目だ。自立しようと水道工事の仕事を始めた。しかし、仕事がなく途方にくれる日々であった。生活はその日暮らしでどん底。この時、心の支えとなったのが女房。彼女も韓国人なのでAの苦しさを痛いほどわかっていた。苦しい生活に▲食べられていたハネナガイナゴ耐え、励まし続けた。このお陰で今がある。女房には本当に感謝していると話した。しかし、その女房は3年前に亡くなったとさびしそうな顔をした。それにしてもこの波乱に富んだAの人生。聞いているうちに私の歩んできたのはぬるま湯人生だと思ってしまった。私はこれを原稿にしようと思い、Aに尋ねた。「今の話を原稿にしたいのだがどうだろう。もちろん名前や韓国人ということは伏せておくから」これに対しAの返事。「俺は韓国人として今でも誇りをもっている。伏せることはないし、名前を出してもらってもいい。悪いことは何もしていないから」この言葉。私の胸にグサッと突き刺ささり、馬鹿なことを尋ねたものだと情けなくなってきた。次の飲み会はイナゴ料理の出る店で開くという。しかし、いつになるかはわからない。それより安い居酒屋で、Aの人生話をじっくり聞きながら飲みたいと思った。MORINOTAYORI 14