ブックタイトル森林のたより 759号 2016年12月

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概要

森林のたより 759号 2016年12月

文:樹木医・日本森林インストラクター協会理事川尻秀樹モミとクリスマスツリー136“これはクリスマスツリーの木かい?”、山で仕事する方々と話をする中、一人の森林技術者の方から聞かれました。一般にクリスマスツリーと言えば、テレビ報道の影響からか、モミ(Abies firma)しか使われていないと思われがちですが、欧州ではドイツトウヒやヨーロッパモミ、米国ではダグラスファーなど、その土地特有の常緑針葉樹が使われています。特にヨーロッパモミはドイツ中部以南にしか分布しておらず、北欧やイギリスには自生していません。また北欧では古くからトウヒ属を生誕記念樹として、フィンランドでは慶弔に欠かせぬ木とし、クリスマス・イブにはトウヒやナラの薪を暖炉で焚きます。多くの文学作品で「モミ」と訳されたのはドイツトウヒだそうで、19世紀頃まで英名のfir(モミ)は特定の樹種でなく、トウヒやモミ、マツの総称だったそうです。モミの名は、一ヶ所に集まって生えた枝が風で揉み合うとか、萌黄が美しいとか、樹皮が揉んだように見える説など様々です。属名のAbiesはラテン語のabeo(高く伸びて地から離れる)に由来し、firmaは強い、堅固を意味します。英名のfir、独名のTanneは共に「火」を意味するfire、Tanが語源で、モミを着火材に利用した事に由来します。クリスマスツリーの起源は、ドルイド教(キリスト教に改宗する以前の古代ケルト民族の宗教)が盛んな8世紀のドイツに遡ります。当時は聖なるオーク(ナラ)に生け贄を捧げる樹木崇拝の時代で、伝説ではイングランドの伝道者ボニファティウスが、ドイツのヘッセンを訪れた時、生け贄とされる少年を助けようとオークの大木を伐り倒しました。倒れた大木の傍にモミの若芽があるのを見つけた彼は、人間の罪の身代わりとなったキリストの奇跡に結びつけ、モミが三位一体(父と子と精霊)を表していると説き、信仰のシンボルとしたとされます。時代は過ぎて16世紀のドイツで、宗教改革者のマルチン・ルターが、クリスマス・イブ礼拝の帰り道に見た美しい星空を再現しようと、ロウソクを飾ってからクリスマスツリーが広まり始めたとされます。イギリスではヴィクトリア女王の婿となったドイツ出身のアルバート公が、ウィンザー宮殿で飾ったのが最初とされます。1848年にクリスマスツリーに集まるロイヤルファミリーの絵が、ロンドンの新聞に載ったことで大きな反響を呼び、国中に広がることになりました。クリスマスツリーにされる常緑針葉樹は、冬でも落葉しないため、永遠の生命を象徴し、春の精や樹木の精が宿る植物と考えられ、精神世界の奥底で宗教と深く結びついてきたのです。▲右がモミの葉(下表、上裏)、左がトウヒの葉(下表、上裏)MORINOTAYORI 4