ブックタイトル森林のたより 764号 2017年05月

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概要

森林のたより 764号 2017年05月

-最年長者、オオアオゾウムシ-【第310回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira平成29年2月某日、日本甲虫学会東海支部例会が鈴鹿市で開かれた。私がこの例会に初めて出席したのは40数年前。名古屋例会である。その頃の私はまだ駆け出しもの。大相撲に例えれば序二段のヘボ力士。ここで幕内上位クラスの強い力士から、稽古をつけてもらい汗を流した。この稽古が効果的で自分でも力がついていくのを感じた。虫の採り方や種を識別するコツがわかり、その成果を学会で発表できるようになったからである。今思えばこの稽古、私の昆虫人生の折り返し点だったと思っている。当時は出席者が常に30~40人。それもほとんどが40代の若手?で大盛況。ここで新しい情報を得て刺激を受け、次へのエネルギーとなった。とにかく活気があった。そして夜は懇親会。これも楽しみだった。酒を飲みながらの虫談義。昼間以上に活気があった。その後もこの例会には毎回出席し、月日が経過。そして今回の例会。出席者はわずか17人と激減。しかも、ほとんどが50歳以上の年寄りばかりだ。この様変わり。時の流れを痛感する。驚いたことに、その中で私は最年長者。この現実を目にして複雑な気持ちになった。××××この例会は情報を交換しながら自慢話をする会。最近はこんな会に変わりつつある。珍しい虫を採ったと得意げに話す人。この虫は春先に探せばたくさん採れるとか、あの虫を採り損なって悔しい思いをしたなど、身近な話題が多い。皆はこれを楽しみに参加しているのだ。その話を聞くとなぜか元気が出てくる。そのお陰で私自身も珍しい虫を採り、大喜びしたことが何回もある。しかも、学会のように堅苦しい雰囲気ではないので、実に楽しい。長らくこのパターンが続いてきた。それが数年前から変わりつつある。種の判定が難しい昆虫にはDNAや交尾器を調べるようになったのである。例えば交尾器による同定。交尾器を調べたら1種だったのが何種にもなったのである。こうした昆虫はたくさんいるという。特に驚いたのはチビツチゾウムシ。このゾウムシは体長3mmと小さい。今まで1種だとされていたのが、交尾器を調べたら50種以上にもなったのである。しかもあるところでは狭い範囲に3種も混生しているのに、交雑種はいないという。恐らくこの3種は数万年以上同じところに一緒に住んでいるだろう。しかし、この間に全く交雑していないというから驚いてしまう。現在、外国から侵入した昆虫が日本種と交雑し、問題になっている現状からすると信じられない話だ。この3種の間には遺伝的に受け付けない何かがあるのだろうと思った。今後は交尾器による同定が主流になる。そんな気がしてきたので、私も挑戦しようと思った。しかし、すぐに諦めた。目の老化で視力が悪化している私には無理だと思ったからである。それと年齢。高齢の私が挑戦すると「年寄りの冷や水」だと笑われるような気がしたからである。××××さらにオオアオゾウムシも何種かに分けられ、岐阜県には3種いる可能性があるという。これにも驚いた。オオアオゾウムシは1.5cmと大きい上、全身が鮮やかな緑色の綺麗なゾウムシなので、誰もが欲しがる。私も探し続け、今までに50頭ほど採っている。どれも姿、形、色からはどうみても同じだ。しかし、交尾器を調べると違いがわかるという。岐阜県での採集地はほとんどが飛騨地方で、標高が1000m以上のところ。このためオオアオゾウムシの生息地は高地帯だと思っていた。ところが20年ほど前に笠松町の木曽川河川敷で30匹採ったことがある。この時はなぜこのような低地にいるのかと不思議に思った。このことを思い出し、もしやこれは別種ではと改めてそのオオアオゾウムシを見直した。肉眼だけでなく顕微鏡で何回も覗いた。しかし、どれも同じである。このゾウムシは大型なので交尾器を調べてみようと思った。しかし、これも諦めた。今度は、孫と虫採りを楽しんでいるお爺▲木曽川河川敷のオオアオゾウムシちゃんがそこまで調べる必要があるのだろうか、こんなことを思ったら気力が萎えてしまったのである。かつて珍しい虫を手にして「採った!」と胸が熱くなった頃の思い出が次々と脳裏を去来した。××××これらゾウムシの交尾器を調べられたのはM博士。その論文を見て驚いた。あの小さなチビツチゾウムシの鮮明な写真と手書きの交尾器の図が載っていたのである。それも200種以上。この労力は大変だっただろうと思った。話しによれば10年近くを要したという。博士は80歳代半ば。すごい気力だと驚くとともに、自分が情けなくなってしまった。次は夜の部。楽しい懇親会だ。しかし、この日はほとんどが車で来ているので、飲めるのはわずか3人。大勢の人を前に少々気が引けた。おそらく若い人だったら年寄りを前に飲めなかっただろう。しかし、私は最年長者。大相撲の番付ならば横綱だ。遠慮することなく飲みまくった。幕内の飲み助連中に見せびらかせて飲む酒は格別においしかった。この時だけは最年長という勲章?のお陰だと思った。今思い出してもおいしいお酒であった。13 MORINOTAYORI