ブックタイトル森林のたより 718号 2013年7月

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概要

森林のたより 718号 2013年7月

-春の美しき魔女、ギフチョウ-【第264回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira私の尊敬しているM博士(以下、先生)は植物の権威者である。特に薬草。この研究歴は何十年にもおよび、今なお精力的に山野を歩き、薬草を探し続けてみえる。どこどこに薬草の○○○があるなどの情報を耳にすると、すぐそこへ行かれる。その行動力にはただ一言、すごい。しかし、先生は薬草を採って持ち帰られることはほとんどない。写真を撮って保存されているのである。その量は膨大だ。この写真が私の人生であり、人に誇れる財産だ、と先生はよく言われる。貴重な薬草を見つけた時はスケッチをされることもある。これもすごい。その筆さばきというか描画力には思わずスケッチの名人?だと敬服してしまう。失礼かもしれないが、先生は絵の天才とは思えないので、スケッチをはじめられた頃は苦労の連続だったと思う。これを克服したからこそ今の先生がある。こんなことを思ってしまう。先生のすごいのはまだある。植物に対する愛情だ。「あそこの○○は今年も咲いているだろうか」「あれは貴重だから盗られていないだろうか」などとよく口にされる。こうした植物は先生自身が毎年見に行かれる。そして「今年も大丈夫だった」と安堵感の漂う笑顔。その表情からは先生の植物に対する愛情だけでなく人柄がにじみ出ている。××××先生のお気に入りの場所は薬草の宝庫と呼ばれている伊吹山だ。ここへは長年調査に出かけてみえるので、先生にとっては我が家の庭。こんな感じである。私も何回かご一緒させていただいたが、本当にくわしい。どこに何があるか、今だったらあの花が咲いているなど、伊吹山にある薬草のことが頭に入っているのでまさに先生の庭であった。それを入念に見て回りながらカメラを向ける。これを長年続けてみえるのである。ここの薬草のどこに魅せられ、伊吹山通いをされているのか、などと思うことがある。そして私と比べてしまう。私は虫を採るため精力的に山野を歩く。これは先生と同じだ。しかし、同じ場所へ何回も行かない。別の地に新しい虫がいるのではないかと浮気心が出てしまうのである。だけど、浮気は駄目。あちこち歩き回るより、同じ場所でねばる方が思いもしなかったものが採れることが多い。このことが、この歳になってわかってきたからである。冒頭で述べたように先生は植物に対し心が優しい。その一例。数年前、ある川が大雨で氾濫し、希少種のオキナグサが自生している河川敷が壊滅的な被害を受けた。数週間後、先生とそこへ出かけた。しかし、オキナグサは見つからなかった。私はここのオキナグサはもう駄目だと思った。しかし、先生はもしかしたら助かるのではないかと思われたようだ。そのわずか数パーセントに期待して、その後もここへ通われた。1年後、私も同行してその場所へ行った。もちろん期待はしていなかった。驚いた。芽を吹いていたのである。先生は笑みを浮かべ一言「よかった。これでここのオキナグサは生き延びることができる」。××××先生は昆虫にもカメラを向けられる。特に大きくて綺麗なチョウが花で舞っている姿。これをよく写される。しかし、植物と違い昆虫は動くので、思うように写真が撮れない。このため先生は最新鋭のカメラをよく購入される。私が知っているだけでもかなりの台数になる。人間誰にも道楽がある。先生の道楽はカメラ。高い道楽だな。いや、まてよ。そうではない。先生はカメラに投資をしてよい写真を撮ろうとしてみえるのだ。こんなことを思ってしまう。先生は昆虫を写すと「この虫の名は」とよく聞かれる。それをファイルにし保存してみえる。時々、プリントした写真を私に手渡し、「はい、君にプレゼント」。もう何枚もある。チョウ、トンボ、カミキリムシなど多数だ。その中にホソオチョウがあった。翅を広げて止まっている見事な写真であった。このチョウは外来種で要注意外来生物に指定されているが、綺麗なチョウなので人気が高い。このため人為的に放蝶され、岐阜県でも長良川や揖斐川堤で生息が確認されていた。しかし、私はこのチョウの舞っている姿を写したいと思ったものの、写真だけを撮りに行く気にはならなかった。しかし、先生は行かれた。虫屋の私が行かないのに。植物専門の先生が写真を撮りに……。うーん。やっぱりすごい。××××先生がこだわってみえるのが春の女神と呼ばれているギフチョウの写真だ。これには執念を感じる。特にこだわってみえるのがカタクリの花で蜜を吸っているギフチョウだ。これは絵になるので皆がカメラを向ける。先生はこの写真を撮るために毎年揖斐川町の谷汲へ行かれる。私も一緒に行ったことがある。もう9年前のことだ。その光景は今でも鮮明に残っている。群生しているカタクリの花から花へと飛び回るギフチョウ。▲産卵中のギフチョウその数は無数で、まさにギフチョウの楽園であった。私が行ったのはこの時だけであるが、先生はその後も毎年谷汲通いを続けてみえる。今年の5月、先生がいつものように「はい、プレゼント」と1枚の写真。ギフチョウであった。しかし、今回はヒメカンアオイにいるギフチョウであった。よく見ると腹部の先に小さな卵が写っていた。先生はギフチョウが産卵している写真を撮りたくて何日も通われたという。先生をこうまでさせるギフチョウ。私は「春の女神」でなく、「春の美しき魔女」のように思えた。「これは谷汲のカタクリ群落で撮られたのですか」。「あそこのカタクリはシカに食べられてしまい、ギフチョウはいないよ」と先生。私は唖然とした。あのすばらしい楽園がなくなってしまった。「まさか」と思うもののまぎれもない事実。ここにも厳しい現実があることを知った。かつて目にした楽園を飛び舞う無数のギフチョウ。この光景がしばらく脳裏から消えなかった。13 MORINOTAYORI