ブックタイトル森林のたより 726号 2014年03月
- ページ
- 11/18
このページは 森林のたより 726号 2014年03月 の電子ブックに掲載されている11ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
このページは 森林のたより 726号 2014年03月 の電子ブックに掲載されている11ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。
森林のたより 726号 2014年03月
-だめなんやさー、ドロノキハムシ-【第272回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira平成26年の元旦。葬儀が当たった。近所の方だ。その2日後、今度は娘の嫁ぎ先の祖母が亡くなったとの連絡。正月早々に葬儀が二つ。どういうことだと思った。この時、悪い予感がした。2度あれば3度ある。もう一つ当たるのではないか。不幸にもその予感が的中。Nさんが亡くなられたのである。Nさんは元林業試験場(以下、林試)で職員の食事をつくっていた女性職員というより、皆から「すずおばさん」と慕われていた人。名前が「すず」だったからである。年配者の中には「Nおばあー」とか「おばあー」などと呼んでいる人もいた。しかし、どのように呼ばれても「なんやなー」と返事をし、「そうなんやさー」とか「だめなんやさ-」など飛騨弁丸出しで話をされた。その言葉はどれも親しみがあった。おばさんの料理はまさに田舎料理。ジャガイモ、カボチャ、ナス、大豆などの煮付けを大きなどんぶりに山盛りにして出された。お世辞にも上品な料理とはいえなかった。ところが、味は抜群。美味しかった。皆が競うようにして食べた。その味は今でも忘れられない。おばさんは高山生まれの高山育ち。根っからの飛騨人である。会話は飛騨弁。「はんちくたい」、「せいでせんかい」、「やんだす」、「ざいごさ」などの飛騨言葉をよく口にされた。その話している姿が目に浮かんでくる。××××私が林試へ就職して初めての仕事がポプラ、ハンノキなどの生長の早い樹木の昆虫調査であった。しかし、よい調査地がなかった。困っているとき、おばさんが「私の畑に植えたポプラがたくさんあるので、ここを使ったら」と言われた。しかも林試のすぐ近く。ここで調査をした。だいぶ前のことなので記憶が定かでないが、そこのポプラにはドロノキハムシがたくさん付いていた。幼虫、成虫が競うようにポプラの葉を食べ、網目状になっていたことを覚えている。私は成虫を何匹も採集した。その後、この虫は県内各地どこにもいることや、生態や習性などもわかり、この虫は私の頭から消えていった。それがまた姿を現した。おばさんが亡くなったことで、あの時のドロノキハムシを思い出したのである。あれはいつだったのだろう。私は標本箱を取り出した。ドロノキハムシの標本があった、鮮やかな赤い翅は当時のままで、まだ色あせていなかった。ラベルには、採集地、高山市山田町。採集年月日、昭和37年5月1日、採集者、野平照雄と記してあった。これが44匹いた。「そうか、53年前に44匹も採集していたのか」。若かりし頃の自分を思い出し懐かしくなった。しかし、当時のことは断片的にしか覚えていない。53年の長さを痛感した。おばさんは昭和52年に退職された。この時、かつて世話になったもので送別会として「すずおばさんを囲む会」を開いた。心のなごむ家庭的な雰囲気で、ひと味違う送別会であった。××××その後、「すずおばさんを囲む会」は、おばさんに世話になったものが集う「○○会」として残すことになった。主役はいつもおばさん。おばさんを囲んで語り合おうというのである。開催は年1回。場所は高山市。メンバーは20数人と少ないが、いつも中味の濃い宴となった。高山祭りの獅子舞や詩吟、結婚式などで歌う「めでた」が出てくるなど、それこそ、いつもひと味もふた味も違う親睦会であった。おばさんはいつも笑顔で見ていて、「これ、もっと上手に歌えや」などと声をかけていた。この「○○会」は20数年続いているが、会員は増えないので平均年齢は年々高齢化し70近くになっている。時々「この会はいつまで続くのかなー」と話題になるようになってきた。その頃、おばさんが病魔に襲われ、意識不明の寝たきり病人。これで「○○会」は終わりかと思った。しかし、おばさんのためにも開くべきだとの意見が多かった。その後もおばさんの病気は回復せず3年、4年と経っていった。「○○会」の度に幹事からおばさんの病状が報告されたが、元の姿に戻ることはないとのことであった。世話をしている家族の方は大変だろうなと思った。××××と言うのは、私自身も経験があるからである。20数年前、女房の父親が意識不明となり病室で看病したことがある。この時、診察に見えた先生に尋ねた。「父の意識は戻ることがあるのですか」。「それはない。この状態がいつまで続くかだ」これが返答であった。これでは病人も看病するものも苦しむだけではないかと思い、「もし、この心臓を動かしている機械を止めればどうなるのですか」と冗談交じりに聞いた。先生は真面目な顔をし▲53年前のドロノキハムシて「殺人罪になります」。父は1年足らずで息を引き取った。「これで父も楽になれる」と悲しみより安堵したというのが本音であった。それがおばさんは7年も寝たきりだった。いかにも長い。しかも、この間に悲しいことが起きている。看病疲れで娘さんが亡くなられたのである。なんとむごい現実。胸が痛んだ。今、おばさんは骨となってベッドから土の中へ移され、ここで眠っている。そう言えばドロノキハムシの越冬場所は土中。なぜか、おばさんとドロノキハムシが枕を並べて寝ている姿を想像してしまった。おばさん。さようなら。合掌。11 MORINOTAYORI