ブックタイトル森林のたより 726号 2014年03月

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概要

森林のたより 726号 2014年03月

岐阜県立森林文化アカデミー●教授原島幹典活かす知恵とを森林人15●詳しい内容を知りたい方はTEL(0575)35ー2525森林文化アカデミーまで忘れたくない日本人の自然観阪神淡路の震災、そして東日本大震災という大きな地震災害を通じて、私たちは二つの教訓を得ました。一つは、私たちが依存している科学技術では到底自然を制御できないこと。もう一つは、人は一人では生きてゆけないことです。言われてみれば当たり前のことですが、高度経済成長と長い平和な時代がこの当たり前なことを忘れさせていたように思います。災害の記憶が薄れ、その教訓が陳腐に思われてくるころ、再び大きな災害が起こる、日本人はその経験を何度も繰り返してきた民族です。大きな災害に見舞われた世代は、その体験を様々な形で子孫に語り継ぐ努力をしてきました。例えば民話であり、地名であり、石碑であり、信仰でした。かつての津波の到達地点には石碑が建てられ、大きな被害が発生した場所には地蔵さんが祀られました。それらの場所や地名には深い意味が込められていますが、道路整備や都市開発により他の場所に移され、歴史的情報源でもある古い地名は度々の合併政策により、使われなくなりました。当面は合理的で好都合なのですが、先人からのメッセージを受け取りにくくなってしまいました。信仰面では、自然災害の破壊力を神の怒りや怨霊の祟りと受け取り、それを鎮めるための装置として神社が作られてきました。大概の場合、背後に山や海を拝めるように配置されています。人々は、この神殿にぬかづき、供え物をして、神(自然)を畏れてきたのです。一年間何事もなければ、有難いこととして盛大に祭りをしました。本来祭りは人が楽しむためではなく、神や霊を鎮め無事平穏に感謝するための儀式でした。もともと、山や海は神や魔物の領域として侵してはならない場所なのですが、人はそこから糧を得なければ生きてゆくことができません。食料、燃料、水等あらゆる資源は神からいただく恵みであるということで、里に近い山に手を加え、海に漕ぎ出し、道具や技術の工夫を重ね、自然資源を高度に利用するようになります。ただし、自然資源の利用には、作法(ルールやモラル)がなければなりません。資源が枯渇してしまえばそこに人は住めなくなるからです。欲に駆られてその作法を破ると、神の怒りにふれ大きな障りがある、ということが長く信じられてきました。ジブリの映画「もののけ姫」でも扱われたテーマです。誰が考え出したのかわかりませんが、「畏れ」の精神を巧みに織り込んだ知恵だと思います。古代シュメール文明は、人の王が森の神を殺してレバノン杉の森を伐採し尽くした結果、環境が破壊され滅亡したと言われていますので、日本人の自然感は、大陸の文明とはかなり異なるものであったようです。さらに日本では鎌倉時代以降、仏教の教えが混ざり合ってきて、命をいただく行為に対する倫理的解釈や、我欲を抑え他者を慈しむ道徳心が説かれてゆきます。かくして、神(自然)を畏れながら仏(人の善意)に救われるという日本人の基本的観念が完成し浸透したことで、地域社会の持続性を担保する、強い公共モラルや自己に厳しく他者に優しい道徳心が、今も自然依存度の高い生活をしている農山村の人々に受け継がれているように思われます。近代科学の目覚しい発達と経済資本主義の追求によって戦後の日本人は豊かになりました。ただ一方では、無事平穏な日常を感謝する謙虚さは忘れられ、我欲の追求に心を奪われることが多いように感じます。今さら昔の暮らしに戻ることはできませんが、現代社会が地球規模でも地域規模でも、持続困難な構造であることは事実であり、いずれ否応なく転換を迫られる時が来ることでしょう。その時、日本人が立ち返るべき、厳しくも豊かな自然環境とそれに育まれた精神文化を持っていることを忘れぬよう、次世代に伝える努力を続けることが大切だと思います。8MORINOTAYORI