ブックタイトル森林のたより 736号 2015年01月

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概要

森林のたより 736号 2015年01月

-故郷、標本虫-【第282回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira兎追いしあの山。小鮒釣りしかの川。夢は今も……。この唄は昔から歌われている故郷という唱歌である。この哀愁を帯びた音色。いつ聞いても心に響く。故郷。若い頃は特に意識しなかったが、歳を重ねるにつれ故郷への思いが強くなり、当時のことが脳裏に浮かぶ。私の故郷は飛騨の高山。生まれも育ちも高山で、根っからの飛騨人である。ここでの思い出はたくさんある。特に小中学生の頃。魚やカエル、トカゲなどを捕って遊んだこと。故N氏とチョウやクワガタムシ採りに明け暮れたことなどなど。当時の高山は少し歩くと田畑が広がり、その近くには小川や雑木林があり、自然豊かな田舎町そのものであった。その高山を離れることになった。寂しかった。しかし、実家には両親が住んでいたので、親孝行のつもりで、年に何回も帰省した。とはいうものの本心は昆虫採集。実家を拠点にして飛騨地域のあちこちへ出かけ、たくさんの昆虫を採集した。私の標本箱の半数近くはこの頃に飛騨地域で採ったものである。時の経つのは早い。高山を離れてから50年近くになる。この間、高山は大きく変わった。観光地として脚光を浴び、多くの人が訪れるようになった。昔の面影はほとんどなくなってしまった。これも時代の流れかと思った。昔のように虫は採れない。それでも高山へ帰った。私の故郷だからだ。××××その故郷へ帰って心を癒すことが出来なくなった。実家を処分したからである。苦渋の決断だった。それまで一人暮らしをしていた母が高齢となり、我が家で生活することになったのが、そもそもの始まり。しかし、実家は残すことにした。ぼろ屋でも愛着があり、とても手放す気にはなれなかったからである。時々帰って窓を開け、空気を入れ換えた。それでも壁や畳にカビが生えてきた。空き家を管理するのはきつい。家を手放そうと思い始めた。しかし、愛着がある。どうしようと迷っているうちに2年経過。その年の冬。高山市役所から、水道使用量が異常に多いとの連絡。厳しい寒さが何日も続いたため、台所の水道管が破裂し大量の水が流れ出ていたのである。部屋は水浸し。しかも水道管が古いので、土中の水道管を取り替えなければ使えないという。この工事費が莫大。この家を維持するのは無理だ。家を売りに出すことにした。残すもの破棄するものの整理にかかった。しかし、ほとんどが破棄するもの。部屋はゴミの山となった。ところが思いがけないものが出てきた。2階にある押入上部の棚の整理をしていたとき、奥の片隅にほこりまみれの段ボールの箱があった。何だろうと思いながらその箱を開けた。驚いた。そこには長年探し続けていた標本箱があるではないか。××××ここにあったのかと標本箱を取り出した。しまった。やられた。頭が真っ白になってしまった。その標本箱の中にある昆虫は標本虫と呼ばれているカツオブシムシ科の虫(種名は不明)に食われ、無残な姿となっていたのである。中には翅まで食べられているものもいた。ここには北アルプスで採集したタカネヒカゲやミヤマモンキチョウ、岐阜県では幻の蝶と言われているヤマキチョウなど今では採ることの出来ない超貴重種が入っていたのである。悔やんでも後の祭り。諦めなければと思うものの、なかなかその気にはなれなかった。標本箱には標本虫に食べられないよう防虫剤(ナフタリン)を入れておいたが、昇華してしまい残っていなかった。しかし、蓋を開け閉めするところにはビニールテープがしっかり貼り付けてあり、ガラス▲無残な標本箱の虫の周りはパテで固めてある。とても標本虫が入れるとは思えない。しかも侵入した証となる標本虫の穴が見当たらないのである。どうして入ったのだろう。このことが頭から離れなかった。××××しばらくして昆虫マニアの集いがあった。その時、このことを尋ねた。いろいろ議論した。しかし、わからなかった。やはり、テープやパテで完全武装されている標本箱にどうして標本虫が入ったのか。この謎が解けなかったのである。そのうちに、お前の管理が悪いから神様がお灸をすえたのだと、茶化したような話になった。この時、途中から参加したK氏がこんなことを口にした。これは標本箱の外で産み付けられた標本虫の卵が孵化し、その小さな幼虫がパテの破損しているガラスの隙間などから侵入して住み着き、ここで世代交代をしていたのだ。これしか考えられない。その話しぶりは自信に満ちあふれていたので、皆は納得したようだった。しかし、私は素直に受け入れることが出来なかった。あの狭い隙間からは絶対に入れないと思うからである。長い間探していた故郷で採った思い出深いチョウの標本箱。出てきたけど虫に食われて無残な姿。それも実家で廃棄する荷物を整理していたとき。皮肉とも思えるこの現実。二つの故郷を無くしたようで暗い気持ちになった。あの標本箱のチョウ。どれも採った時のことを覚えている。その光景が目に浮かんできた。蝶々追いしあの山。ホタル採りしかの川。夢は今も……。いつしかこんな替え歌を口ずさんでいた。13MORINOTAYORI