ブックタイトル森林のたより 765号 2017年06月

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概要

森林のたより 765号 2017年06月

-笑い話から一転して、クロゲンゴロウ-【第311回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira私は某ダムの環境保全検討会の委員をしている。その開催通知が来た。事前調査資料にはダム造成地近くの休耕田を利用して人工湿地を作り、ゲンゴロウなど水昆虫の生息状況を調べているという。面白い試みだ。その内容を知りたいと思った。というのは私自身、長年このことに興味を持っていたからである。それは徳山ダムでの経験。9年前徳山ダムが完成し、集落が湖底に沈んだ。この時、これで徳山の里山環境に生息していた昆虫たちは消滅する、と私は思った。ところがそうではなかった。オオムラサキである。里山の代表種ともいえるオオムラサキはダムが出来る前は集落周辺だけに生息し、山の上部には生息していなかった。それが完成すると山頂付近で見られるようになった。しかも秋にはここで越冬している幼虫を確認したのである。人家周辺からここへ移動してきた。間違いないと確信した。オオムラサキにこのような適応力があることに驚くとともに、他の昆虫類も同じではないか、だから昆虫類は厳しい環境変化に対応して生き続けているのだと思った。しかし、疑問も残った。湿地に生息している昆虫類だ。湿地がなくなれば、当然消滅してしまう。このことが長い間気になっていたのである。××××会場のある名古屋市へ向かった。地下鉄に乗った。途中でお婆さんが乗車されたので席を譲った。「お兄さん、ありがとう」この言葉に思わず笑えてきた。自分にはお兄さんという呼び名は死語だと思っていたからである。しかし、悪い気はしなかった。電車を乗り換えた。今度は空席無し。立っていたら子供連れの婦人が「どうぞ」と言って席を空けられた。その時、子供に「おじいちゃんには席を譲ってあげようね」とやさしく話していた。今度はお爺ちゃんか、とまた笑えてきた。ここまでは笑える話であったが、この後は一転して胸の痛む話となった。会場では久しぶりにOさんに会った。83歳の今でも鳥類を調査し、会議では良識ある意見を言われる方である。このOさんとは20年前から委員会などで顔を合わせ、夜は酒を飲みながら話したこともある。しかし、今日はいつもと違う。顔色が悪いのである。「体調が悪いのですか」と軽い気持ちで話しかけた。Oさんは「肺がんで、余命6ヶ月と宣告されています」。「え!」私は返す言葉がなかった。会議が始まった。××××ダム予定地には湿地があり、貴重なゲンゴロウなどの昆虫類が生息している。しかし、ダムが出来れば湿地は消滅してしまう。そこで、ここの昆虫を誘導するため休耕田を利用して人工湿地を造ったところ、すでにクロゲンゴロウ等のゲンゴロウ類が生息し始めたという。よい方法だと思った。これらのゲンゴロウは岐阜県にも生息しているが、数が少ない。いずれ保護対策が必要になるかも知れない。その時はこの方法を試みる。よい情報を得たと思った。もっと詳しく聞きたかったが、質問などはしなかった。目の前にいるOさんを見ると気の毒になり、そんな気になれなかったのである。いつも意見を言われるOさんも発言されなかった。その胸中を察すると胸が痛くなった。Oさんを見ているうちに、10数年前の委員会のことが思い出された。その日は猛暑であった。とにかく暑かった。そんな時Oさんが「水を出してもらえませんか」。「あと少しで休憩時間ですので、それまで待ってください」と事務局。Oさんは「あな▲ハイイロゲンゴロウた方は公費で接待や飲み食いしているのに、水が出せないのですか。私はビールを出せと言っているのではありません。水道の水でよいのです」と語気を荒げることなく、おだやかに話された。その後、すぐに冷たい麦茶が出てきた。この時の光景が目に浮かんできた。××××帰路、Oさんと歩いて駅に向かった。その時の会話。「おそらくこれが野平さんと話すのが最後でしょう」。私の胸に槍が突き刺さったようだった。返す言葉がなかった。さらにOさんは「人間誰しも寿命がある。今はこれが私の寿命だと思っている。むしろこれだけ生きられたことに感謝している」。「強い精神力ですね。自分だったら絶えられません。」「いや、違います。宣告されたときは頭が真っ白になり、気が狂いそうでした。気力が萎え、何もしませんでした。」「誰だってそうなりますよ。」その後、医療雑誌やネットなどで最新の治療方法などを調べたところ、肺がんによく効く新しい治療薬が開発されていた。主治医にそのことを話すと「この治療薬は数千万円と高額です。貴方の場合、この薬で寿命がどれだけ延びるかはわかりません」。Oさんは3年、いや2年延命できるのなら治療を受けようと思ったという。しかし、一方ではこれだけのお金を投じても効かないかも知れない。むしろ子供たちに残してやればという気持ちもあるという。こんなことまで話された。名古屋駅についた。別れ際にOさんは笑顔で「今度は天国でお会いしましょう」と言われた。またまた、返す言葉がなかったので、手を振って別れた。しばらくして、奇跡、奇跡的にという言葉が頭に浮かんできた。Oさんが奇跡的に――となるように祈った。13 MORINOTAYORI