ブックタイトル森林のたより 783号 2018年12月

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概要

森林のたより 783号 2018年12月

-ついに終着駅、ギフチョウ-【第329回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohiraある期間を一緒に過ごしたものが集まる列車(同窓会など)には必ず終着駅がある。このことは知ってはいたが、私の乗っている原山会という列車は、まだ数年は走り続けるだろうと思っていた。ところが、ある日突然急停車。そのまま終着駅となってしまった。それは原山会幹事から届いた一通の手紙。冒頭に、原山会を解散しますと書いてあったからである。「とうとう来たか。少し早かったな。」覚悟はしていたものの、現実に直面すると、やはり寂しくなる。この列車は50年以上走り続けた。想像した以上の長旅だった。乗客は、かつて高山市にあった岐阜県林業試験場で、一緒に仕事をした仲間たち。私はこの列車に昭和37年に乗った。もう56年前になる。当時の林業試験場は木造平屋建て。これがアカマツの散在している構内に何棟もあった。春になるとギフチョウが舞い、夏には暑さを和らげるセミの音、秋には夜長を鳴きとおす鳴き虫たちの大合唱が耳を打つ。虫好き人間の私には、夢のような職場であった。仕事の合間に昆虫を採った。特に貴重種のギフチョウ。これを狙って採ったものだ。ある日、構内でギフチョウを採っている者がいた。虫友の故N氏だった。N氏は言った。「ギフチョウを採りながら仕事ができるのか。うらやましいなー。」私もその通りだと思った。そのN氏はこの世にいない。この言葉だけが私の頭の中で眠り続けている。しかし、時の経過とともに環境も変化。いつの間にかギフチョウはいなくなってしまった。××××当時は皆若かった。活気があった。テニス、卓球、野球、スキー、麻雀、囲碁などいろいろなことをやった。冬には昼休みに数人で近くの原山スキー場へよく出かけた。そのうちにリフト係のおじさんと仲良くなり、時々無料にしてもらった。今ではあり得ないことだ。きつかったのは野球の練習。人が足りないので若手は全員駆り出された。しかし戦力にならないものが数人いた。私もその一人で、練習中にボールが田んぼに飛んでいくと、これを拾いに行かされたものだ。しかし、球は泥の中。探すのに苦労した。夜になると飲み会。これが楽しみだった。日本酒をヤカンに入れて、これを薪ストーブでわかして茶碗で飲んだ。飲み助が多かったので、あっという間になくなってしまう。そして市内の繁華街へ行くのが、お決まりのコースであった。安い居酒屋でトンチャンを食べて、軍歌を歌いながらのコップ酒。実に楽しかった。しかし、この楽しい列車も車庫へ入ることになった。昭和45年3月31日、林業試験場が無くなったからである。この列車は車庫へ入っていった。××××それから7年後、乗客だったNさんが退職された。当時、Nさんは「おばさん」と呼ばれ、職員の食事をつくっていた。料理はほとんどが田舎料理。見た目は悪かったが、味は絶品。とにかく美味しかった。言葉は飛騨弁丸出し。誰にでも話しかけ、時には注意することもあった。「そんなことして駄目なんやさー」「あれ、はんちくたい」よくこの言葉を耳にしたものだ。おばさんは気さくで人柄がよかった。皆から慕われた。このため、かつての仲間で送別会を開いて、長年の労をねぎらってやろうという声があがってきた。久しぶりに皆で酒を酌み交わした。おばさんは大喜びであった。この送別会で再び列車原山号が動き出したのである。初めは数年に1度であったが、そのうちに毎年実施されるようになった。毎回20数名が参加し大盛況であった。飲んで歌って踊るなどした。それが10数年後、おばさんが倒れた。意識不明のまま長期療養。結局、おばさんは8年間眠り続けて天国へ旅立たれた。おばさんのお陰で復活した原山会。この列車を止めようという声は上がらなかった。××××その後も毎年原山会は開かれた。しかし、皆歳をとっていく。体調を悪くして欠席する者が多くなってきた。悲しいことに数名が天国へ旅立ってしまった。その一人であるK氏は、ある時「俺は今回の原山会が最後だろう」と私にささやいた。「そんなことないよ」と私。これがK氏と私が交わした最後の言葉となってしまった。今でもその言葉が脳裏を去来する。参加者が少なくなれば原山会を続けるのは難しい。誰もが思い始めた。そんな時、ある人から「毎回出席者から1000円徴収して貯めておき、最後に残ったものがそれを手にする」という名案?が出された。これを目当てに出席してほしいと言うのである。皆は大賛成。それを目指して出席した。それでも増えなかった。それと平均年齢が80を越えてしまった。これ以上続けるのは無理。それで幹事は解散することにしたという。半世紀にわたって走り続けた原山号がついに終着駅に到着。心残りはあったが、楽しい旅行だった。その思いにふけっていると、突然目の前にギフチョウの大群。それが優雅に舞い始めた。その中におばさんがいて、飛騨弁で話しかけてきた。「なんや、もう帰ってきたんか。だしかんなー。でも疲れたやろ。せいで帰ってあんきにせや。」こんな光景が目に浮かん▲舞いを終えて休止しているギフチョウできた。9 MORINOTAYORI