ブックタイトル森林のたより 805号 2020年10月

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概要

森林のたより 805号 2020年10月

国有林の現場から48こんなところにも国有林木はほとんど丸坊主に刈り取られていました。ところが、関ヶ原の戦いの前哨戦で、西軍についた岐阜城主織田秀信(信長の嫡孫)が東軍に攻められ落城したのち、岐阜城は廃城となり、尾張藩の管理下で入山や伐採が禁止されていたようです。江戸時代に金華山を描いた絵では、アカマツやヤマザクラが見られますが、これは典型的な二次林で、地力が減退した林の特徴です。明治に入ってからも、金華山は皇室の財産である御料林に引き継がれ、鵜飼い用のかがり火にマツ材が利用される程度の伐採で、おおむね伐採禁止が守られたことから、次第に常緑広葉樹が育っていったものと思われます。一方、周辺の民有林では、比較的近年まで燃料用に樹木の伐採が繰り返されたため、二次生の落葉広葉樹林いわゆる雑木林のままで、金華山と大きく植生が違ってしまったのでしょう。金華山にはツブラジイ等のほかに天然ヒノキも多く生えています。中には樹高30mを超すような大木も見られますし、この辺りではツブラジイも大きく深山の趣があります。戦国の世に思いをはせるのも良いですが、違った視点から金華山を楽しむこともお勧めします。(岐阜森林管理署)が高いと評価され国の史跡に指定されました。また、土砂流出防備保安林の指定や動植物の宝庫であることから鳥獣保護区特別保護地区、自然観察に適しているためレクリエーションの森、自然観察教育林として、教育の場としても活用されています。金華山の南東側(達目洞)には、『金華山アラカシ・ツブラジイ遺伝資源希少個体群保護林』もあります。これは周辺の民有林がコナラやアベマキなどの落葉広葉樹林なのに対して、金華山は冬でも落葉せず青々としています。その植生は、ツブラジイ、アラカシなどの常緑広葉樹で人間の手が入る前の原植生に近いと言われているからです。これには諸説ありますが、戦国期には、敵が樹木に身を潜めながら攻め上ってくるのを防ぐため、山城の周囲の樹その後、斎藤龍興を攻めた織田信長が入城し、金華山の麓にある「井の口の里」を「岐阜」と改め天下布武の根拠地としました。戦国時代の終わりを告げる関ヶ原の戦い以後、幕府直轄地、尾張藩領などの変遷を経ました。明治になり「御料林(皇室所有の森林)」へ編入され、昭和22年林政統一により、現在の国有林となりました。このような金華山ですが、平成23年2月には山頂の岐阜城、山麓の居館跡を含めた山全体が歴史上、学術上価値国有林は奥山にあると思われがちですが、僅かですが都市近郊林もあります。岐阜森林管理署管内においても、岐阜市を代表する山である金華山が国有林となっています。この金華山(金華山国有林)は、かつては稲葉山と呼ばれ、戦国時代の武将「斎藤道三」の居城でした。▲新緑の金華山▲岐阜城天守閣の石垣▲金華山アラカシ・ツブラジイ遺伝資源希少個体群保護林MORINOTAYORI 16