ブックタイトル森林のたより 818号 2021年11月

ページ
6/22

このページは 森林のたより 818号 2021年11月 の電子ブックに掲載されている6ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

森林のたより 818号 2021年11月

文:樹木医・日本森林インストラクター協会理事川尻秀樹ヌルデの塩195「今頃のヌルデの果実表面には、有機酸の一種、酸性リンゴ酸カルシウム塩がついています」と観察会で説明しました。ヌルデ(Rhus javanica)の果実は「山の塩」と呼ばれ、奥山ではこれを塩味として利用していました。長野県ではこれを素に食用酢を作っていた記録もあり、中国でも塩麩子、塩膚木と表されます。野鳥もこの塩味が好きで、ヒヨドリやヤマドリがよくついばみます。昔の日本家屋は便所が母屋から独立しており、東北地方の山間では便所から30m以内にヌルデを植え、晩秋から初冬に果実を食べに来たヤマドリを撃っていたそうです。鳥によって運ばれたヌルデの種子は、土中で長期間休眠し、伐採などで林地に光が当たって地温が高くなると発芽します。里にも奥山にも自生するヌルデは、農山村の生活に密着した独特の民俗が残っており、愛知県段戸山や静岡県水窪では小正月(一月十五日)に、ヌルデの祝木を玄関に飾りました。伊豆から関東にかけては、小正月の魔除けとしてヌルデの「御門棒」を立てるため、別名オッカドノキと呼ばれます。室町時代の辞書『下学集(1444年)』には、ヌルデは「霊力の宿る木」として崇められてきた事が記されており、これから魔除けになると考えられたようです。同じ様な理由で、昔は新潟県岩船郡山北町の小俣地区『日本書紀』『上宮聖徳法王帝説』『四天王寺本願縁起』『元享釈書』『扶桑略記』などに記されていることです。飛鳥時代に蘇我氏と物部氏が争っている時、厩戸皇子が蘇我氏の勝利を祈願して、ヌルデ材で四天王像を彫って頭髪に抱いたため、カツノキとかショウグンボクと呼ばれ、その後も武家ではヌルデを旗竿に用いていました。▲果実表面についた酸性リンゴ酸カルシウムで「死人の杖」としてお棺に入れ、山口県徳地町柚野地区では十二月の暮れの餅つきの米を蒸す竈に最初にくべる「餅木」としました。また、長野県や四国、九州で小正月に畑や神棚の飾りとして作られる粟穂稗穂、人形、刀、農具にヌルデを用い、茨城県高間村では田の神の依代として苗代の取水口に立てる「粥かき棒」をヌルデで作りました。他にも「護摩木」の利用があります。密教では不動明王や愛染明王などの前に護摩壇を築き、火炉を設けて護摩木、護摩札を投げ入れて煩悩を焼却し、併せて無病息災、幸福などを祈願します。この時、ヌルデの札を火に入れると材内部の道管に含まれたチロースという組織が、ポンポン、パチパチと音をたてて爆跳するため、邪気を祓うと考えられたのです。ヌルデで面白いのは厩戸皇子(聖徳太子)にまつわる話が、MORINOTAYORI 6