ブックタイトル森林のたより 831号 2022年12月

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概要

森林のたより 831号 2022年12月

-1.2.3ダアー、セスジスズメガ-【第377回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira夏が過ぎても我が家の庭にはたくさんの花が咲いている。家内がそれぞれの時期に咲く花を育てているからだ。このお陰でいろいろな虫たちが集まり、年中姿を見ることができる。今の時期、多いのがツマグロヒョウモン。朝から晩まで見ることができる。ある日、小学生の孫二人が「おじいちゃん、これなんなの」と車庫のコンクリート壁を指さす。地上から30cmのところに蛹が2つ付いていた。「ツマグロヒョウモンという蝶の蛹だよ。」と答えた。しかし、二人は「フーン」と言って興味を示さなかった。翌日の10時、1匹が羽化していた。ところが、まったく動かない。翅に触っても飛び出さないのである。そこでこの蝶を虫かごに入れ、夕方孫たちに見せた。「この蝶だったのか。庭にたくさんいるよ」と孫たち。すると「蛹から出てくるところを見たいなー」とYちゃん。2日後の(2022年9月30日)の午前8時、蛹から蝶が出始めていた。急いでビデオをとりに行った。Yちゃんに見せるためだ。この間、わずか3分。ところが蝶はすでに蛹から出て、ぶら下がっていた。Yちゃんの期待に添えず残念であった。それにしてもこんな短い時間で羽化するとは驚きであった。しかし、羽化後はほとんど動かず、3時間後に飛び立っていった。これは羽化するときが危険なので、出来るだけ早く成虫になる。これがこのチョウの生き残り戦術。そんな気がした。××××その日の午後、玄関前で私自身初めて目にする幼虫を見つけた。多くの人は気味が悪いと言うだろうが、私には可愛い虫に思えた。独特の斑点模様。尻尾には一本の長い刺。これを上下にピクピク動かしながら走るように進む。やは▲可愛い幼虫?り愛らしい。つかまえて、手のひらに乗せた。見ているうちに、孫たちはこの幼虫をつかまえるだろうか。ためしてみようと思った。その前にこの幼虫を調べた。セスジスズメガという蛾であった。初夏から秋にかけ2回発生し、いろいろな植物の葉を食べる。我が家の庭にはいろいろな植物があるので、この庭で育ったのであろう。庭には昆虫以外にも、ナメクジ、ダンゴムシ、カナヘビなどの住人がたくさんいる。そこへ今回新たにこの虫が増えた。次の住人は何虫だろう。こんなことを思うだけで、何故かわくわくしてくる。この幼虫を孫たちに見せた。反応は違っていた。上二人は「気持ち悪い」と触りもしなかった。しかし小3のUちゃんは「可愛い」と言って、手でつかまえて顔に近づけて見ていた。そのうちに小5のUちゃんは恐る恐る触るようになった。しかし、中1のM君は興味深そうに見ていたが、気味が悪いと言って触ることはしなかった。このことを母親に話したら「まったく臆病なんだから。もう中学生だよ」。声が大きくなった。××××セスジスズメガは農作物の害虫として知られている。サトイモ、サツマイモ、ブドウなどに集団で発生し、葉を食い尽くしてしまうからだ。となれば我が家の庭にはまだいるはずだと幼虫を探し始めた。しかし、いない。どこかに身を隠しているのだろうか。植木鉢や肥料袋などをよけて探したものの、見つけることは出来なかった。庭には何匹ものツマグロヒョウモンがいた。オスが交尾のためメスに近づく。すると別のオスが来て争いになる。これがあちこちで見られた。オス同士が戦っている時、別のオスが来てメスと交尾をする。こんな要領のいいオスもいた。この蝶を観察していたら驚くべき光景を目にした。オスが花の蜜を吸っている時、1匹のスズメバチが襲ってきたのである。蝶は逃げる。スズメバチは追う。必死で逃げる蝶。どこまでも追う蜂。目が離せなかった。そのうちに鋭い口でメスの体に噛みつき、そのまま飛び立っていった。その後、数匹のスズメバチが襲ってきたが餌食にはならなかった。この攻防は30分続いた。しかし、その後はスズメバチは姿を見せなかった。厳しい自然界を垣間見るような気がした。××××今日は充実した1日だったなーと思いながら、日課となっているテレビを見ながらの晩酌だ。味は格別。酒量が増えていく。しばらくしたらテレビで落語家の三遊亭円楽師匠と元プロレスラーのアントニオ猪木氏が亡くなったとの報道。驚いたと言うより、とうとう天国へ旅立たれたかと思った。お二人とも数年前から大病を患い病院生活だったからである。それにすごいと思うのはご両人とも、病気を隠すことなく人前に顔を出されたこと。多くの人は晩年のみじめな姿を見られたくないものだが、二人とも最後の最後まで人前に姿を見せていた。円楽師匠は死の2か月前に独演会を開いていたし、アントニオ猪木氏は車いすで人前に顔を出していた。そして必ず「元気ですかー、元気があれば何でもできる。1.2.3ダアー」と声を振り絞って右手をあげていた。この力強い雄叫び。もう耳にすることができない。さみしくなってくる。さようなら、猪木さん、円楽さん。9 MORINOTAYORI