ブックタイトル森林のたより 833号 2023年2月

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概要

森林のたより 833号 2023年2月

文:樹木医・日本森林インストラクター協会理事川尻秀樹木炭Ⅰ210「この黒炭はうまく焼けましたね」、森林文化アカデミーの炭窯で学生さんが焼いた炭を見せてもらった時の会話です。木炭とは簡単に言うと木を蒸し焼きにしたもので、専門的には木材の熱分解残渣とされます。炭化度や熱処理条件によって、黒炭や白炭、更に原木の樹種や用途、産地名によって呼び名が細分化されます。製炭法も本格的な炭窯を作る築窯製炭法から、工業的炭化法やドラム缶焼きや伏せ焼きなどの簡易製炭法など様々あります。日本で最も古い木炭は、洪積世約30万年前の遺跡である愛媛県肱川町の鹿ノ川洞窟とされ、鹿ノ川洞窟からは人骨や石器類と一緒に、鍛冶に用いる鍛冶炭に近い炭や消し炭の2種類が発見されています。意外にも同時期の中国、北京原人の周口店洞窟からは、焚き火による消し炭しか発見されていません。大規模な発掘事例としては、1986年に中国で発見された紀元前5世紀の「曽候乙墓」で、約5トンの木炭を床から天井周囲まで厚み1mも積み上げられていたものがあります。燃料としての木炭は、薪や消し炭と異なり、燃やしても煙や煤を出さず、火力の調整が簡単で火持ちが良く、保存性や運搬性が高く、人類最初の「燃料革命」であったと言えます。日本では縄文時代以降に多くの木炭が生産されるようになり、弥生時代に鉄器が利用されるようになると、火つきが良く燃焼温度が高い「ニコ炭」が焼かれるようになりました。その後、東大寺建立など奈良時代に入ると、中国から炭窯による製炭技術が伝えられて「アラ炭」が焼かれるようになり、火つきが良いニコ炭は金属加工用に、そして火持ちが良いアラ炭は調理や暖房用に使用されるようになったのです。日本の製炭技術は、804年、第16次遣唐使として中国に渡った空海(弘法大師)らによって飛躍的に進歩したと言われ、空海が帰国後移り住んだ多くの場所が木炭の産地であり、特に高野山周辺は熊野木炭の産地となっています。炭窯の排煙口を大師穴とか弘法穴と呼ぶのもその名残です。一般的な黒炭は、樹種や熱分解の方法によって木炭の炭素含有量が74~93%と幅があるのに対し、白炭は炭化度がほぼ一定で焼きむらが少ないため、炭素含有量は約94%になります。黒炭はコナラ、クヌギ、カシなどを400~700℃で炭化し、焼いた窯の中で温度が下がるのを待つのに対し、白炭は主にウバメガシを炭化の途中で窯の口を開き、空気を入れて温度約1000℃に高めた炭を窯から引き出し、灰と砂の混合物を被せて消火するため外見上白く見えるのです。▲森林文化アカデミーの炭窯の中を覗くMORINOTAYORI 8