ブックタイトル森林のたより 835号 2023年4月

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概要

森林のたより 835号 2023年4月

-トラップを仕掛けたI氏、引っ掛かったのは私-【第381回】自然学総合研究所野平照雄●Teruo Nohira令和5年1月15日。荷物が届いた。差出人は福井県のI氏。荷物の中身は小型の標本箱。蓋を開けるとたくさんのゾウムシ。しかもほとんどが5mm以下。しかし、手紙が入っていない。あるのは返信用の料金支払い済み伝票のみ。私はピンときた。そして「やられた!彼の方が役者が上だ」と思った。その理由。I氏はこのゾウムシを調べてもらいたい。しかし、小さなものばかりで時間がかかる。嫌がられるだろう。電話ではお願いしづらい。だからいきなり返信用料金支払い済み伝票を入れて標本を送ってきたのだ。これに間違いないと思った。I氏とは何十年も付き合っている虫ともである。しかも歳は二つ上。こうまでされて断ることはできない。しかし、すぐには返事が出来なかった。歳とともに目が悪くなり、小さなものは見づらくなっているからである。それに私自身、前にくらべゾウムシに対する熱意が失せてきているからである。この事情を話して断ろうかと思ったが、できなかった。断ればI氏に悪いし、それ以上に私自身のプライドに傷がつく。引き受けることにした。これはI氏にすれば予定通りの筋書き。私にすればI氏の仕掛けたトラップの餌食になったようなもの。思わず笑えてきた。▲届いたゾウムシ標本××××標本箱の中には小さな虫がたくさん入っている。しかし、肉眼ではぼやけてよく見えない。そこで、顕微鏡のレンズの倍率を変えて大写しにする。翅の色や毛の長さ、表皮の凸凹が見えるようになった。これなら早くできそうだ。ところが落とし穴があった。やはり私の目。細かいものを見続けていると眼がかすんでくるのである。調べるポイントとなる脚の刺の数や翅の穴の数などはピントがあわず時間がかかってしまう。しかも調べるときは集中している。2時間続くとくたくた。それでも初めの頃は無理して4時間以上調べた。それでも名前のわかるものは少なかった。喉元まで名前が出てきているのに、それが思い出せないのである。何十年も追い続けてきたゾウムシ。頭の中にはその記録と思い出がいっぱい詰まっている。私の大事な宝物である。それを忘れている自分。情けなくなった。これは自分の頭のタガが緩んでいるからだ。これを締めなおさなければ駄目だと思った。このゾウムシはI氏から頼まれたから仕方なく調べている。こんな感覚であったが、そうではなく自分の勉強だと心に決め顕微鏡を覗いた。今までに採集している自分の標本と比べながら1匹ずつ調べた。かなり時間がかかりそうであったが、苦痛とは思わなかった。××××顕微鏡を覗いていると、すぐに飽きてくる。胸が熱くなるようなものがいないからである。それでも顕微鏡を見続けた。そのうちに昔の勘が戻り、わかるようになってきた。名前がわかると嬉しかった。これが徐々に増えてきた。そして、終了。2月19日だった。この時は「終わった!」と心の中で叫び、ほっとした。I氏の顔が目に浮かんできた。約束が果たせたからである。このお陰で自分の「緩んでいたタガが締まった」と嬉しくなった。それにしてもI氏の虫に向ける情熱はすごいと思った。I氏は私より2歳年上。それなのに今でも採集にでかけ、ゾウムシを採ると私のところへ送ってくる。私にはそんな気力は残っていない。私がI氏に初めて会ったのは30数年前の日本林学会。その時私はゾウムシに興味を持っていると話した。この時からゾウムシ標本が届くようになった。名前を教えてほしいというもので、これが今も続いているのだ。ある日、30kgの米袋が届いた。実家で作ったもので、ゾウムシでは世話になっているからだという。これが数年続いた。もらいっぱなしでは悪いと思い、飛騨のリンゴを送ったことがある。米とリンゴの組み合わせ。今思えば、笑えるような懐かしい話である。忘れることのできないのが小笠原諸島へ採集に行ったこと。ゾウムシの権威者である故M博士が調査に行かれるので、これに加えていただいたのである。これは楽しかったし、勉強になった。朝から夜間まで虫採り。採った虫はほとんどが初めて目にするものばかり。そして夜遅くからの宴会。成果を自慢しながら飲む酒は本当においしかった。平成8年だからもう27年も前の話だ。××××I氏のお陰で頭のタガは締まったが、やはり前のようにゾウムシ採りに行く気にはなれない。それは私自身が今頭を痛めているからだ。このたくさんの標本をどうするかである。私としては博物館や大学などで引き取ってもらいたいのだが、学術上価値ある種や超珍品ならOKというところがあるくらいだ。しかし、私としてはできない。どの虫も思い出のある虫だからである。このことについて高齢者数人と話し合った。しかし、答えがあるはずがない。結局、考えても仕方がない。「何とかなるさ」となった。私はこのことをI氏にも聞いてみたかったが、それは止めた。今でもやる気満々のI氏に言い出せなかったからである。7 MORINOTAYORI